
生成AIの急速な進化が、スタートアップの競争環境を根底から揺さぶっている。
投資家からは「AI時代でも高い成長率と利益率を維持できるのか」という問いが突きつけられ、シート課金モデルの持続可能性やAIネイティブ企業との競合が懸念されている。ビッグテックによるAI内製化の波は、この連続勉強会シリーズでも繰り返し議論されてきたテーマだ。
シリーズ最終回となる2月19日のトークセッション「生成AI時代のMOAT戦略」では、LayerX代表取締役CEOの福島良典氏が登壇し、三菱UFJイノベーション・パートナーズ(MUIP) Chief Investment Officer 佐野尚志がモデレーターを務めた。
AI時代においてスタートアップはどのようにMOATを築くべきなのか?
モデレーターを務めた佐野は、まず冒頭に米国を中心としたSaaS関連株価の2026年初来からの低調なパフォーマンスに触れ、”SaaS黙示録”議論の論点整理を行った。その上で、競争優位の源泉は個々のプロダクト機能のみならず、「AIネイティブな組織をどう作れるか」にあると指摘。人とAIの役割をどう再設計し、経営者自身がどこまでAIに向き合えるか。その実践の深度こそが、模倣困難なMOATになり得るという視点でセッションをリードする。
AI時代における組織変革の実践——トップコミット、予算設計、人材戦略まで、500人規模の組織でAIネイティブへの転換を推し進める当事者のリアルな言葉が語られた。
トップの覚悟から始まる

セッション冒頭、福島氏の口から語られた現状は意外なものだった。
ChatGPTが世に出てからかれこれ3年ぐらい経っている中で、我々もエンタープライズ向けAIプラットフォームのAi Workforce事業を新しく立ち上げましたが、社内の生成AI活用についてはボトムアップに任せていた部分もありました。
もっと全社でAIを使おうという旗印を掲げてはいたものの、AIネイティブな組織に変わっていくためのアクションは、正直やりきれていませんでした(福島氏)。
LayerXの「AI」文脈での取り組みといえばやはり、バクラクシリーズへの実装だろう。
例えば、AI-OCRによる領収書の読み込みなど、バクラクシリーズにおける処理体験は企業のコーポレート部門の心を鷲掴みにし、この領域のトップティアとして一気に頭角を表すことになる。
それに続くAi Workforceを基盤とした大企業のワークフロー改善は、AI時代におけるスタートアップによる大企業の大規模価値貢献モデルのひとつと言っても過言ではないだろう。
AIへの取り組みについても2025年4月、全社方針として「Bet AI」を掲げ、AIネイティブな組織への変革を開始した。
しかし、だ。福島氏は、この決断を「もっと早い段階から、トップダウンで変革を進めるべきだった」と振り返る。
部分的な取り組みはあったものの、全社的な変革には至っていなかったという自己評価だ。この危機感が、「Bet AI」に振り切ることを決めた背景にある。
トークン消費量というKPI

変革から約1年が経過し、成果は明確に表れている。LayerXでは組織全体で使用するトークン量を追跡しており、福島氏はこれを「人からAIに移った仕事量」と定義する。
トークンコストイコール、人からAIに移った仕事量だと思っています。コーディングエージェントを使っている方はイメージしやすいと思いますが、トークンがコードを書いていますよね。要するに、エンジニアを雇ったことと、ほぼ同じことが起こっているのです(福島氏)。
この指標は劇的に増加しており、かなりの割合の仕事を人からAIに移行できた実感があるという。
佐野氏は、500人規模の当時の組織でAI活用を浸透させる上で、福島氏が代表として心がけたことと、誰に何を任せたのかを問いかけた。
トップが誰よりもAIを触ってコミットした上で、一部をメンバーに委譲すること。AI活用の浸透を、誰かに『任せること』ありきだと、きっと組織は変わらないです。
AI活用を浸透させようとする段階では、トップが権限委譲という言葉に逃げないことが、とても大事です(福島氏)。
AIファーストの経営判断

AI活用を組織に浸透させるには、ツールの導入だけでは不十分だ。福島氏は予算の枠組み自体を変革した。
従来型だと、Slackに何円、人員計画が500人から何百人になるからSlackのID数がこのくらいになりそうだからこの予算で、という取り方をしていました。しかし、そのやり方を変えて、まずAIの予算を取ることにしました。このAI予算はClaudeに使ってもいいし、Cursorに使ってもいいし、別のAIツールに使ってもいいし、その費用を人件費と代替的にしようと決めました(福島氏)。
また、AIツールの急速な進化に対応するための体制も整備している。専門のコーポレートITチームが、セキュリティ基準を満たした形で新しいツールを運用できる仕組みを構築した。各社員は、その枠組みの中で自由に自動化ツールを作成できる。こうした判断の一方、積極的な人材採用も継続している。それが営業だ。
今の我々のドライバーは営業です。AIで営業しても多分、売上はあがらないと思います。お客さまとのコミュニケーションが必要な職種に関しては積極的に人を採用して、AIを活用することで生産性を上げていきます(福島氏)。
経営者自身がAIに向き合う——「ノーミーティングデーはみんなでAIを触る」

佐野は、急速に変化するAI技術を経営者としてどうキャッチアップしているのかを尋ねた。AI戦略をCTOやエンジニアチームに委ねる経営者は少なくないが、福島氏の答えは「まず自分で触る」というシンプルなものだった。
社内のエンジニアに頼んで『お願い、作って』というと、その分のコミュニケーションコストがかかります。自分でやれば『指示はこう出せばいいんだ』とか、『こういう指示を出したらこういうものが作れると思っていたけど、全然違ったな』とか、フィードバックサイクルも得られます(福島氏)。
経営者自身がプロンプトを書き、エージェントを組み、失敗と修正を繰り返す。一見するとCEOの時間の使い方としては非効率に映るかもしれない。しかし、実際に現在のエージェント開発を体験した人であればこれがすこぶる効率的な行動であることが理解できるはずだ。
そしてこの姿勢は、単にツールを理解するためだけのものではない。自身の思考プロセスそのものをAIに移していく試みでもある。
例えば、ベンチマークしている会社についての決算資料の分析を四半期ごとにやるとします。それを自分の思考を使ってやらなくていいような仕組みを作るのです。そのためには、かなり膨大な時間をエージェントを作るためにかけなければならないのですが、長期的な生産性を高めるために、それをやり続けています(福島氏)。
定型業務を自動化すること自体は新しい概念ではない。しかし福島氏が語るのは、作業レベルの効率化ではなく、経営判断に関わる分析や思考プロセスそのものをエージェントに委ねるという、より踏み込んだ実践だ。
この姿勢を個人の習慣に留めず、組織全体に浸透させるために始めたのが、ノーミーティングデーだという。
一週間に1日はミーティングを入れない日にして、その日は役員陣も含めて、みんなでAIに触れるようにしています(福島氏)。
エージェントを理解するためには、とにかく自分で触れてみること。学生時代に機械学習に触れ、エンジニアとしての側面を持つ福島氏だからできるのではない。自然言語での開発が可能になった今だからこそ、非エンジニアの経営陣であってもこの壁は乗り越えられるのだ。
そして、そういった壁を乗り越えようとするのかどうかが、AIネイティブな組織に変化できるかどうかの分水嶺になりそうだ。
AI時代の起業家へ「100% AIにフルベットせよ」
セッションの最後、佐野は「この時代にもう一度起業するとしたら、どういうアプローチを取るか」と問いかけた。LayerX自体が約600人規模(2026年3月時点)に成長し、全社でAIネイティブ変革を推し進めている今、仮に白紙の状態から始めるならどんな戦い方を選ぶのか。
福島氏がまず強調したのは、組織の規模でも資金力でもなく、創業者が没頭できるテーマを選ぶことの重要性だった。
AI時代はAIとの壁打ちが無限にできる時代です。だからこそ、自分が没頭して熱中できる、本当に好きなテーマをAIネイティブに追求することが重要だと思います。本当に好きなテーマじゃないと、ずっとは考えられないものですよね。でも世の中にはそのテーマが好きな人がいて、ずっと考えている人が必ず存在します。この『ずっと考えられる』というところが唯一の優位性になる。今まではずっと考えていても情報の取り方とかアクセスとか、それを実現するための壁があったんです。でも今、そのブロッカーが全部外れたように感じています(福島氏)。
情報格差、開発コスト、専門知識の壁——かつてスタートアップの前に立ちはだかっていた障壁の多くをAIが取り除いた。残ったのは純粋な「思考の持久力」だけだ。
また、福島氏によるとClaude Codeの国内のアクティブユーザーは日本の人口の1%未満にすぎないという。つまりAIをプロダクト開発やビジネスプロセスに本格的に活用している時点で、日本社会においてはまだ少数派ということになる。
こんなチャンス、なかなか訪れないんじゃないかなと思います。まだまだ遅くないと思います(福島氏)。
AIネイティブを標榜する企業はこれからも増えていくだろう。しかしその具体的な取り組みがどうであるかは、経営陣次第であることがよく理解できる内容だったのではないだろうか。
福島氏の語る変革は、ツール導入の話ではない。AI時代の競争優位は、ツールや技術の選定ではなく、AIを徹底的に活用し切ることに経営者自身が「どこまで本気で向き合えるか」にかかっている。